遊風の養生日記Ⅱ

術伝流の愉癒庵遊風(颶風颯雷電)が、鍼灸操体食養はじめ養生について書いていきます

『ウェブ時代をゆく』感想の続き

 「病的なまでに心配性な人だけが生き残る(Only the Paranoid Survive)」という言葉も出てきて、確かにそうだなとも思うのだが、仕事がどんどんパソコンネットワーク化やロボット化されていく中で本当にそうなってしまうと多くの方が脱落してしまう。そうなってしまうと長い目で見ると国として持たないのでは無かろうか。生き残った人も流浪の民として世界をさまようことになるのではないかな、さまよい続けながら行く先々で成功者として生き残っていくのかも知れないけれど。田中宇さんもメルマガなどを見ていると実際そういう風に生きてきた方々もいるようだ。しかし日本人にそういう生き方が出きる方がどのくらいいるのだろうか?案外沢山いるかもしれないけど、とくに生き残る方々には。
 国として生き残るのには、仕事がパソコンネットワー化ロボット化され市場化が進んだ社会でも国民が憲法にいう健康で文化的な生活を営めるような社会システムを作っていく必用があるような気がする。たとえ、そうしてしまって、あまりもうからないからと企業が国から出ていって、そういう企業と共に世界をさまよう成功者たちが出ることになっても、そういう企業や成功者にとってもふるさととしての国は必用なのではないかなと思う。それに日本の商品で世界で評価が高い物は利用者がいろいろ注文をつけてきたせいが大きいので、そういう利用者なしに高い評価を得続けることが可能かどうかということも考えてしまう。また、大多数の国民が健康で文化的な生活も営めない状況になってしまったら、商品にいろいろ注文を付けて良いものを評価するという伝統も薄れ、商品の競争力が落ちるような気がするのだが。
 まぁ、どうなるでしょうか?なるようになるのかな?