遊風の養生日記Ⅱ

術伝流の愉癒庵遊風(颶風颯雷電)が、鍼灸操体食養はじめ養生について書いていきます

病理医7N4WCU(チャーリー吉川)先生のチェルノブイリ事故と病気や症状のツイートまとめ

7N4WCU チェルノブイリ原発事故で亡くなった人の肺を切り取ってフィルムに感光させると、主としてプルトニウムからなる放射能の微粒子が「ホット・パーティクル」と呼ばれる白い点としていくつも写し込まれる。
 チェルノブイリ原発事故後、ソ連の政府機関が汚染の実情を認めるまでには4年という年月がかかった。それも民間の人々の困難な告発や運動があった後である。
 ソ連政府もウクライナ白ロシア(現ベラルーシ)も財政難を理由に避難対策を徹底的に遅らせてきた。各共和国政府は、事故の責任は連邦政府がとるべきであると言う。
 白ロシア(現ベラルーシ)全域を調査し、特にゴメリ地方からブレスト地方に渡ってホット・パーティクル(HP)が多いことが発見された。死亡した200人のサンプル調査で70%の人からHPが見つかった。対象は首都ミンスクも入っており、白ロシアのほとんどの人がHPを持っている可能性がある。
 汚染地域で治療を必要としている人々にとって医者がとどまってくれることは大変重要。ウクライナ保健省は2つの地域に限り、医師の給料を2倍にすることを決定した。しかし予算が足りず、これも実現はずっと後に。(実現できたか不明)
 白ロシア政府のチェルノブイリ担当官(事故後2年時)「いま私たちがしなければならないことは子供たちを白ロシアの外に出すこと。この汚染地帯から子供たちを出すのは1ヶ月もあればできる。高濃度汚染地区には10万人の子供が住んでいるが、海外からの招聘で国外へ出られる子供は、たった数千人。」
 チェルノブイリ事故の後、一番広がったのは甲状腺の病気。事故の後、ヨウ素の放射性下降物が急増した。ヨウ素セシウムの5倍出た
 甲状腺疾患の次は血液疾患。とくに血液のガンと呼ばれる白血病。先天性白血病といって、生まれる前に白血病になる場合アリ。俺は少し前、先天性白血病胎児の解剖をしたが、これは染色体異常で放射能とは無関係。
 ミンスク第一病院付属の小児血液センター・アレニコワ主任医師の話。「私の考えでは、多量の放射能は細胞を殺しますが、少量の放射能は細胞に変異をもたらします。これが白血病の原因になるわけです。これがミンスク白血病が10年間で3倍以上、事故前の2倍以上に増えた理由だと思います。」
 プリピャチ(チェルノブイリ原発から3kmの人工都市)出身の子供たちの未来は苦しみに満ちているようです。多くの子が問題に直面しています。特に十代の女の子に、キエフの男の子が友達になりたがらないという事態も生じています。」
 ウクライナチェルノブイリの子供たち」創設メンバー女性の言葉「プリピャチ(チェルノブイリ原発から3kmの人工都市)出身の子供たちの未来は苦しみに満ちているようです。多くの子が問題に直面しています。特に十代の女の子に、キエフの男の子が友達になりたがらないという事態も生じています。」
 (プリピャチの)子供たちは以前に比べすぐにイライラするようになり、疲れやすくもなった。目も悪くなり、よく鼻血を出したり、卒倒するという。医師たちは以前、こうした症状はチェルノブイリ原発事故とは関係ないといっていたが、今では一致して、事故が子供の健康に影響していることを認めている。
 元プリピャチの小児科医アーレンカ・エレーナ「昔診ていた子供たちには今のような甲状腺の異常肥大、白血病などに代表される血液の病気、肝臓や膵臓の障害などの症例はありませんでした。胃腸障害も多くみられます。無気力、消極性、失神、鼻血もよくみられます。」
 アーレンカ・エレーナ医師「子供たち全員を診察したいのですが、いやがる親がいるのでできません。表面に出ない病気を見つけられるのが怖いのでしょう。それにもし見つけられても、有効な治療薬もないのですから」(チェルノブイリ事故後2年の時点)
 「私は妊娠していました。夫は生まないほうがいいと言いましたが、私たちはやはり子供が欲しかったので生みました。赤ちゃんは最初アレルギーでしたが、今は元気です。でも将来どうなるか、誰にもわかりません。」(チェルノブイリ事故後2年キエフ郊外トロイシュナ地区、プリピャチからの避難者)
 「食物は検査されていないのです。食物が店に来ても、全部を検査するわけでないのを、私は知っています。ある食品が汚染地域から来たものではない、と保証できる人は誰もいないのです。」(プリピャチから避難したキエフ郊外住人)
 「最近まではジュースのラベルを見て生産地で選んでいました。ところが今ではラベルでは産地がわからなくなり、一種類しかこなくなりました。汚染された食料は沢山持ち込まれ、加工処理され『きれいな』食品として売られているのです。」(事故後2年、プリピャチから避難したキエフ郊外住人)
 90年春になって白ロシアのすさまじい汚染の状況を伝える記事が伝わり始めた。しかしそれでも外国人ジャーナリストが立ち入れない場所があった。その秘密に閉ざされた場所が、ロシア共和国の汚染地ブリャンスク地方だったのである。
地元の人々は被害の大きさに絶望感を強め、それを訴えて援助を求めようとするが、モスクワの中央はそれを妨害し、被害の事実をもみ消そうとするのである。
 ロシア共和国ノブジブコフ地区1990年7月「60%の子供が甲状腺の病気を持っています。でも事故前の統計はありません。誰も調べようとしなかったのです。子供の病気は以前は1週間で治ったものが、今では数週間入院しないとだめなのです。」
 出典はほとんど広河隆一著「チェルノブイリ報告」からです。