遊風の養生日記Ⅱ

術伝流の愉癒庵遊風(颶風颯雷電)が、鍼灸操体食養はじめ養生について書いていきます

「操体は対話 心は他人かもしれない」

 今回は、ここまで書いてきた操体に関係する事を改めて考えてみて、どうして人は病気になるのかなと言うことを書いていきたいと思います。
 さて、みなさんは、心と体、どちらが自分だと思っていますか?「我思う故に我なり」と言われるように、心が自分だと思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか?今回の話の中心は、「心は他人かも知れない」という事です。「えー、そんなバカな」とおっしゃられる方のほうが多いと思います。でも、普段、心で思っている事のうちで、自分が実際に体験した事や自分がその体験を整理して考えたりした事から心に思い浮かべているものの割合は少ない方が多いのではないでしょうか?私自身、自分で振り返ってみて、多くて1/3ぐらいかなと思います。残りは他人の言葉や思いに由来するようです。
 心に何か一つのイメージが浮かんだ時に、そのイメージから別のことを連想していく事で、心は思うという行為を続けていきますが、その連想のパターンも、自分の実際の体験を中心に作られている方は少ないのではないでしょうか?言われた事、読んだ事など、他の方の言葉や思いに基づいて、連想を続けているように思います。
 詳しくは、http://yajiuma.pupu.jp/yajiumapuki/index.php?%BF%B4%A4%CF%C2%BE%BF%CD%A4%AB%A4%E2%A4%B7%A4%EC%A4%CA%A4%A4