遊風の養生日記Ⅱ

術伝流の愉癒庵遊風(颶風颯雷電)が、鍼灸操体食養はじめ養生について書いていきます

次男が都立高校情報科に合格

23週626gの超未熟児で産まれ脳性麻痺児の次男が
都立高校情報科に合格。一安心。

保育園時代は、手は握る事しか出来ずに、塗り絵をさせると
3cmはみ出すくらいの巧緻性障害だった。書き始めようと
する処と書き終えようとする処が3cmずれちゃってた。

それで、小学校に入って始めの1学期の間は、字を一字も書
けずにかたまったままだった。夏休みにポケモンの名前と技
の名前を毎日書かせたら、なんとか字らしきものを書けるよ
うになった。

理解力の発達も遅れていて、主治医からは2,3歳下の子を
育てるつもりで育てなさいと言われた。実際算数などは、4
年生でも1,2年生の内容で躓いたりしていた。

小学校の卒業文集では、6mm方眼の清書用紙にサインペン
で字が書けず、1cm方眼のものに鉛筆で書いたものを縮小
した。細かい字が書けないので、細かい字を書く必要のある
筆算は苦手だった。

字を書くスピードも遅く、テストなどで、解っていても書く
のが間に合わなかったり、漢字を沢山書く宿題などは期限に
間に合わなかったりした。

化学物質過敏症でもあるため、アスベスト除去工事後の塗装
の影響で中学には2年生の1学期までしか通えなかった。自
宅で一人で勉強し、解らないところは私が教えた。

昨年12月下旬に(脳梗塞で十日入院し退院した2,3日後)
試しに過去問をやらせてみたら数学英語国語3教科とも20
点台。兄の通う目標の高校の同格ラインが60点くらいと聞
いてたし、当日のテストの成績20:内申書3という、当日
の試験結果重視の高校なので、難しいかなと。

隣でパソコン仕事をしながら、毎日午前午後1時間づつ数学
英語を教えたら、1月下旬にはなんとか50点近くいくよう
になり、それからは午前には国語も勉強。 

振り返ると、よくもまぁ出来るようになったなぁという感じ。
一生外れないかもと言われた酸素ボンベは外れたし、歩ける
ようになったし、絶対不可能と言われた平泳ぎで遠泳したし。
小1の7月には、一生字を書けないかもしれないと思ったし。
中学に入っても繰り上がり繰り下がりのある計算は指を使っ
ていたし。

兄という目標があったのが大きいかな。ある時、サッカーロ
ボット用のプログラムを組んでロボット同士にサッカーの試
合をさせる競技で兄に3連勝し、プログラムならハンディが
少ない事に気づいたようで、それから暇さえ有ればパソコン。

それもあって、兄が入った高校の情報科に自分も入りたくなっ
たようで、現在の将来の夢はゲームプログラマーだそう。