遊風の養生日記Ⅱ

術伝流の愉癒庵遊風(颶風颯雷電)が、鍼灸操体食養はじめ養生について書いていきます

主体に成れ、制御可能なものに基盤の置いた方が良いのでは?

 FBの鍼灸関係のあるグループで、ドライニードルの講習会の紹介を切っ掛けに論争が有りました。が、「このグループの規約として、お互いのセミナーの不利益になる事は書かない」ことを理由に管理者に因り削除されたようです。

 ドライニードルについてや、その危惧については以下が参考に成るかなと思います。
https://www.facebook.com/groups/176193989127405/permalink/1718862054860583/

 もう一人の論争参加者は、解剖学筋膜ファシア説に基づく鍼でセミナー開催している鍼灸師の先生。

 その論争に、「日本人鍼灸師が日本の伝統では無いことを基盤にしていることに対して、悲しく残念に思う…新しい知見に熱心な点は評価しますが」と書いたら、私の書込も削除されたようです。

 今朝から、続きというか、説明というか、書き込もうと推敲していた文を以下に書いておきます。
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 あと、技術の普及に熱心な点も評価します。

 ただ、1980年代末から今までの、日本人で現代中医に基盤を置いた医師の栄枯盛衰を見てきたので、日本の伝統や自分自身の経験に基盤が無い、自分が主体に成れず、制御が効かないことが基盤で有ることの脆さ危うさを感じていました。

 中医だけでなく、ドライニードルも、解剖学筋膜ファシア説も、日本人鍼灸師が主体に成れないし、制御可能でも無いように思いますので。例えば、「筋膜ファシアの重なった所で鍼を留め、そこで鍼を操作して先ず筋膜ファシアの重なり(癒着)を解消することを切っ掛けに、ツボの状態や筋の過緊張過弛緩や症状を改善した」経験は、私には有りません。そういう状態では、私は、筋膜ファシア説を基盤には出来ません。気を悪くされたら、ごめんなさい。

 ただ、伝統や自分自身の経験だけに固執しても、生き残りは難しいでしょうね。不易流行でしたっけ、バランスが難しいですね。時所が変化しても変化しないことで、出来る限り、主体に成れ、制御可能なものを基盤に、時所の変化にも合わせる感じかなぁ。

 もし日本でも理学療法士もドライニードル使用可への制度変更が議題に成ったとしても、交渉の相手は医師や官僚でしょう。ですから、余計に、時所が変化しても変化しないことで、しかも、出来る限り、日本人の鍼灸師が主体に成れ、日本人の鍼灸師が制御可能なものを基盤にする必要を感じます。

 
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 この件に関係することは以下に書きました。
「現代中医・ファシア説・DNなどは基盤にしない理由」
http://d.hatena.ne.jp/kuhuusa-raiden/20180522/1526971086

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この書込のURLは以下です。
「主体に成れ、制御可能なものに基盤の置いた方が良いのでは?」
http://d.hatena.ne.jp/kuhuusa-raiden/20180509/1525836093